2025/11/27 14:06
南国である大月もずいぶん寒くなってきた。
昨日トイレの隅で大きなメスのアシダカグモが
長い足を折りたたんで縮こまっていた。
彼女らは、ついひと月前には大きな卵の塊を抱いていた。
卵は然るべき場所に張り付けてきたのだろう。
今日はもう動かず役目を終えて静かに死んでいくつもりらしい
引っ越しで外したタープや放置していた作業手袋の縁にも
カマキリの卵が産んであった。
カマキリの母たちもそういえば少し前にうろうろと場所を探していた。
抜け殻のような遺体もあちこちで見かけた。
クモもカマキリも、自分の生きる分だけ、他の命をもらって生きて
その体で生きられるだけの命を生きてひっそり死んでいく。
猪も鹿も、くまも。そうだった。
だが、この頃の彼らは
畑のものを食べたり、人の住む場所に食べ物を求めたりする。
自分の生きる分だけを求めると、どうしても人間との境目を超えてしまう。
私は、人間で、他の生き物を犠牲にして命をつないでいる。
鹿も猪もくまも食べたことがある。
私は自分の生きられる分だけの生き物を食べ続け
これからまた東京の、
草っぱらや林を重機で掘り返し生き物を追い出して建てられた、団地に住み
車や電車や飛行機を利用して移動し、電気を使って演奏する。
自分の体で生きられるだけの命を生き
やがてひっそりと死んでく虫や動物たちみたいに、そんなふうに生きられるだろうか?
人間にとって獣や虫よりも、人間が一番大事だと思っていいのだろうか?
人と人は戦争という大義名分で殺し合うこともある。。
この世界で一番、危険な生き物は人間なのか?
さまざまな問いを抱えながら、大月の秋は深くなる。
秋になっても南国の光は強く
枯れススキも雑草も、光を受けて金色に輝く。
そこにざあっと、天気雨がキラキラふりそそぎ、一瞬、
植物たちの気配が立ち上るような美しさに、ぼうぜんと見惚れていた。

